イタリア情報サイト


世界遺産レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」奇跡の絵画があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

◆ルネッサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」は、イタリア・ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院にあり、1980年に世界遺産に登録された。レオナルド・ダ・ヴィンチは1495年から1498年に「最後の晩餐」をサンタ・マリア・デッ・グラツィエ教会に隣接するドメニコ会修道院の食堂の壁に描いた。しかし、この絵画「最後の晩餐」は、激しい浸食と損傷を受けた歴史があり、現存していることが奇跡ともいわれている(見学は完全予約制)。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会・ミラノ

※サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会・ミラノ

◆サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Chiesa di Santa Maria delle Grazie)は、ミラノ大公フランチェスコ・スフォルツァの命により、建築家グィニフォルテ・ソラーリによって1469年に完成されたゴシック様式の教会で、1492年以降にはスフォルツァ家の霊廟としてアプス(壁面に穿たれた半円形または多角形に窪んだ部分)も改築された。それによって、この教会はより美しい複合建築の教会となった。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に隣接するドメニコ会修道院の食堂の壁には、ルネッサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」がある。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会・ミラノ

※サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のアプス

PageTopに戻る

ドメニコ会修道院食堂にあるレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」

ドメニコ会修道院食堂のレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」・ミラノ

※ドメニコ会修道院の食堂に描かれているレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」

◆サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に隣接するドメニコ会修道院の食堂にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの巨大な壁画「最後の晩餐」は、幅910cm x 高さ420cmという大きさで、1495年描き始め1498年に完成された絵画。

◆レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、イエス・キリストと12使徒による最後の晩餐を題材とした作品で、イエス・キリストが処刑される前夜に12使徒と共に摂った夕食の席で「この中の一人が私を裏切る」と言ったキリストの言葉に、驚く弟子達のリアクション、その場の騒めきをリアルに描いている。

◆ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の構図は、当時一般的とされていた構図とは異なり、裏切り者のユダを一人だけテーブルの手前側に座らせることなく、同列に座らせ描いている。そして使徒達に聖人としての光背も描かず、キリストを中心に12人の弟子を等しくテーブルの両側に配置している。しかし、裏切り者のユダの手には銀貨を入れた袋を持たせ、顔に陰をいれることで、他の弟子達とは区別して描いている。
また、ダ・ヴィンチは遠近法、明暗法、解剖学など科学技術を駆使して、当時一般的とされていた絵画とは全く異なった新しい芸術を生み出したといわれている。

◆レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院の見学は完全予約制で、1回に入れる人数制限や時間制限もあるので早めに予約した方が良い。

世界遺産登録年:1980年
所在地:Piazza Santa Maria delle Grazie, 2, 20123 Milano MI, イタリア
アクセス:地下鉄2号線「カドルナ駅(Stazione Cadorna)」から徒歩で約700m、または路面電車のトラム16番(Monte Velino-Stadio San Siro)に乗り、停留所「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ駅(S. Maria delle Grazie)」で下車する。
見学チケットの予約公式サイトは、Click »
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の公式サイトは Click »

PageTopに戻る

激しい浸食と損傷を受けた歴史をもつ奇跡の絵画「最後の晩餐」

ドメニコ会修道院食堂のレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」・ミラノ

※ドメニコ会修道院に展示されていた写真より「最後の晩餐」の惨状

◆レオナルド・ダ・ヴィンチは「最後の晩餐」を写実的な絵画とするために、完全に乾いた漆喰に重ね塗りができ、作業時間に制約を受けることがないテンペラ技法を用いて描いた。しかし従来、壁画や天井画は、古代ローマ時代から永続的に保存されるフレスコ技法で描かれていた。そのため「最後の晩餐」は、所在する環境や諸状況から最も損傷が激しい絵画としても知られている。

・テンペラ技法 → テンペラ技法の“メリット”は、完全に乾ききった漆喰でも描け、時間的制約は無く、重ね塗り、描きなおしができる。“デメリット”は、温度や湿度の変化に弱いため劣化しやすく、壁画には向いていない。保存期間も短い。
・フレスコ技法 → フレスコ技法の“メリット”は、壁や天井と一体化し、ほぼ永続的に保存される。“デメリット”は、漆喰を塗ってから8時間ほどで絵を仕上げる必要があり、使用できる色彩にも限りがあり、重ね塗りや描き直しが基本的にできない。

◆レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、テンペラ技法でドメニコ会修道院の食堂に描かれたため、食堂の食べ物の湿気や湯気などが絵を浸食する原因となり、完成からわずか20年後の1500年頃には、顔料の剥離が進み、激しい浸食と損傷を受ける結果となった。

ドメニコ会修道院食堂のレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」・ミラノ

※ドメニコ会修道院に展示されていた写真より「最後の晩餐」の惨状

◆17世紀には食堂と台所の間を出入りするために扉が設けられ、絵の中央下の部分が完全に失われてしまった。また17世紀末のナポレオンの時代には食堂ではなく、馬小屋として使用されたため、動物の呼気や排泄物によるガスなどで浸食が進んでしまった。さらにミラノは2度の大洪水があったため、絵画全体が水浸しとなり、激しい浸食と損傷を受けた。

◆第二次世界大戦中の1943年8月には、アメリカ軍がミラノを空爆し、ミラノ全体の約43%の建造物が全壊した。そのときにドメニコ会修道院の食堂の屋根も半壊するなど破壊されたが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のある壁は、爆撃を案じた修道士たちの機転によって保護され、奇跡的に残り、その後、建物も復元された。

以上のような激しい浸食と損傷を受けた経緯から、現在、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、存在自体が奇跡だといわれている。

◆そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、1977年から1999年5月にかけて、ミラノ芸術財、歴史財保存監督局による大規模な修復作業が行われた。修復作業は女性修復家のピニン・ブランビッラ氏が1人で、20年以上の歳月をかけて、表面に付着した汚れなどを除去、完成作品以降に行なわれた修復による顔料を除去、という洗浄作業のみが行なわれた。その結果、ダ・ヴィンチ以外の加筆は取り除かれ、オリジナルの壁画が甦った。
修復作業の様子や甦ったオリジナルについての解説は、2010年4月にTBSで放送された「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の最後の晩餐」でも紹介されていた。

PageTopに戻る

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会・ミラノMAP




PageTopに戻る


Translate »